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真珠 物語6

2020.04.29

仕事

  • 真珠物語

養殖真珠は日本の文化

色々と深掘りすると面白い

当時の歴史背景を想像するとロマンが広がる、店主です

 

真円真珠

そこには、御木本氏に加え

西川藤吉氏、見瀬辰平氏の3名の名前が出てくる。

 

真珠

御木本氏のパートナーだった研究者の弟子であり

後に娘婿になった、西川藤吉氏が登場。

精力的に真円真珠の研究に取り組み成功を収める。

1907年に「真珠形成法」を特許出願後に実験途中に他界。

後に現在の真珠養殖の基本となった。

 

もう一人、船大工だった見瀬辰平氏も奮闘。

西川氏と同じ1907年に、養殖時につかう工具「注射針」を特許出願。

残念ながら彼も早くして亡くなる

 

見瀬氏と西川氏の真珠の研究結果は

「Mise-Nishikawa Method」と呼ばれている。

 

御木本氏は、半形真珠の成功の後

養殖技術の向上により事業も拡大させて

「真円真珠」の探求を続ける。

そして1917年に御木本氏は

「全巻式」という技術を特許出願し安定した真珠養殖に成功。

この方法で産出された多くの真円真珠は

海を渡って1919年ロンドンへ持ち込まれた

 

パールリング

 

その後、日本の養殖業者は

日本のアコヤ貝以外の養殖も出来ないかを考え

オーストラリアやインドネシアの白蝶貝

タヒチの黒蝶貝への養殖へ挑戦する

世界に広まったのは、かなり後のようですが…

 

1893年の半形真珠から真円真珠成功までの期間

そして、一般庶民が手にできるまでの長い道のり。

この頃は、「明治の発明と産業」が盛んになり

「トヨタ自動車」の豊田佐吉が自動織機を開発など

日本全体が活気があったのでしょう。

面白いです。

 

ここまで

物語1 真珠とは…

物語2 真珠の誕生

物語3 アンティークな真珠

物語4 明治初期の様子

物語5 明治後期と養殖真珠(半円真珠)

 

次回は、真珠のエピソードを紹介したい

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