真珠 物語5
2020.04.23
仕事
- 真珠物語
真珠、必需品
歳を重ねるとフォーマルなシーンは外せない
反対にあると便利アイテムでしょう、店主です
明治後期の養殖真珠、現代のパールネックレスがあるのも
この時代に熱意をもち尽力いただいた先人のおかげ
日本のジュエリー界の偉業でしょう
明治後期といえば、着々と繁栄し、海外への進出に興味をもったのだろう
日清戦争、日露戦争 などの出来事もありました
そんな中で御木本氏は、真珠の魅力に興味を持ち
様々な行動、挑戦を続けます
1893年、35歳のときに「半円真珠」の養殖に成功しました
もともとアコヤガイから真珠は採れたようですが
養殖ではないので、真珠がはいっているか?わかならい
自然にある貝を乱獲され、貝自体が少なくなってしまったようです
まずは貝を増やすことに注力し、同時に養殖の研究です
研究といっても、一人では出来ない
当時の水産界の役人(議員)を支援者とし
最高権威の研究者を訪ねて研究を重ねる
この段階でも凄い行動力です
最初の養殖成功は、半分だけ球体になった真珠でした
それを持ち前の行動力で東京へ上京し商人になったようです
商才がよほどあったのでしょう
その半円真珠がヨーロッパで興味を持たれるようになり
活躍の場所が世界へと広がります
真珠養殖場の経営、東京ではジュエリーアトリエを作り、海外への輸出。
このとき、今度お札にもなる「渋沢栄一」とも知り合っている…凄いです
もうこの頃、40代と年齢もいちばん気力が乗っていい時期だったのでしょう
行動力と努力の結果ですね
次回は「真円真珠」までの道のりを、まとめてみたいと思います
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