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真珠 物語7

2020.05.06

仕事

  • 真珠物語

真珠、さかのぼって考えてみる

古い文献や書庫にある参考図書から

何か面白く「へー」がと思っていただければ、店主です

 

今回は、古い時代にはいつ頃?

真珠は「人間との付き合いが最も古い宝石」

pearl

宝石といえばダイヤモンド、ルビーなど想像できる

硬くてカット研磨しないと輝かない

(ダイヤモンドは、新しい文化で生まれたもの)

真珠は貝から「ポロッ」と偶然できた産物で

それだけで美しく神秘的な存在だった

 

真珠

 

紀元前9年まで、さかのぼり古い採掘痕跡があったようだ

ギリシャの詩人「ホメロス」の書いたとされる書に

真珠のことが記されている

紀元前4年のアレクサンドロス大王が築いた

「ヘレニズム文化」においても、宝飾品として愛用する

ローマ帝国でも、富と権力の象徴として真珠は宝物として扱われる

ペルシャ湾や紅海は天然真珠を、命懸けで潜り採掘されていた

 

真珠

プリニウス(AD23-79年、博物学者)が書いた「博物誌」

ペガサスやユニコーンが描かれている中で

宝石の記述があり真珠も出てくる

 

ここまで古いと想像しにくいですが

当時から魅了され貴族のためのアイテムだったこと

採取する海の男たちのロマンは感じられる

 

 

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真珠 物語6

2020.04.29

仕事

  • 真珠物語

養殖真珠は日本の文化

色々と深掘りすると面白い

当時の歴史背景を想像するとロマンが広がる、店主です

 

真円真珠

そこには、御木本氏に加え

西川藤吉氏、見瀬辰平氏の3名の名前が出てくる。

 

真珠

御木本氏のパートナーだった研究者の弟子であり

後に娘婿になった、西川藤吉氏が登場。

精力的に真円真珠の研究に取り組み成功を収める。

1907年に「真珠形成法」を特許出願後に実験途中に他界。

後に現在の真珠養殖の基本となった。

 

もう一人、船大工だった見瀬辰平氏も奮闘。

西川氏と同じ1907年に、養殖時につかう工具「注射針」を特許出願。

残念ながら彼も早くして亡くなる

 

見瀬氏と西川氏の真珠の研究結果は

「Mise-Nishikawa Method」と呼ばれている。

 

御木本氏は、半形真珠の成功の後

養殖技術の向上により事業も拡大させて

「真円真珠」の探求を続ける。

そして1917年に御木本氏は

「全巻式」という技術を特許出願し安定した真珠養殖に成功。

この方法で産出された多くの真円真珠は

海を渡って1919年ロンドンへ持ち込まれた

 

パールリング

 

その後、日本の養殖業者は

日本のアコヤ貝以外の養殖も出来ないかを考え

オーストラリアやインドネシアの白蝶貝

タヒチの黒蝶貝への養殖へ挑戦する

世界に広まったのは、かなり後のようですが…

 

1893年の半形真珠から真円真珠成功までの期間

そして、一般庶民が手にできるまでの長い道のり。

この頃は、「明治の発明と産業」が盛んになり

「トヨタ自動車」の豊田佐吉が自動織機を開発など

日本全体が活気があったのでしょう。

面白いです。

 

ここまで

物語1 真珠とは…

物語2 真珠の誕生

物語3 アンティークな真珠

物語4 明治初期の様子

物語5 明治後期と養殖真珠(半円真珠)

 

次回は、真珠のエピソードを紹介したい

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真珠 物語5

2020.04.23

仕事

  • 真珠物語

真珠、必需品

歳を重ねるとフォーマルなシーンは外せない

反対にあると便利アイテムでしょう、店主です

 

明治後期の養殖真珠、現代のパールネックレスがあるのも

この時代に熱意をもち尽力いただいた先人のおかげ

日本のジュエリー界の偉業でしょう

明治後期といえば、着々と繁栄し、海外への進出に興味をもったのだろう

日清戦争、日露戦争 などの出来事もありました

そんな中で御木本氏は、真珠の魅力に興味を持ち

様々な行動、挑戦を続けます

真珠

1893年、35歳のときに「半円真珠」の養殖に成功しました

もともとアコヤガイから真珠は採れたようですが

養殖ではないので、真珠がはいっているか?わかならい

自然にある貝を乱獲され、貝自体が少なくなってしまったようです

まずは貝を増やすことに注力し、同時に養殖の研究です

研究といっても、一人では出来ない

当時の水産界の役人(議員)を支援者とし

最高権威の研究者を訪ねて研究を重ねる

この段階でも凄い行動力です

最初の養殖成功は、半分だけ球体になった真珠でした

それを持ち前の行動力で東京へ上京し商人になったようです

商才がよほどあったのでしょう

その半円真珠がヨーロッパで興味を持たれるようになり

活躍の場所が世界へと広がります

真珠養殖場の経営、東京ではジュエリーアトリエを作り、海外への輸出。

このとき、今度お札にもなる「渋沢栄一」とも知り合っている…凄いです

もうこの頃、40代と年齢もいちばん気力が乗っていい時期だったのでしょう

行動力と努力の結果ですね

 

次回は「真円真珠」までの道のりを、まとめてみたいと思います

 

 

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真珠 物語4

2020.04.17

仕事

  • 真珠物語

静かな雨の音

穏やかに過ごす

そんな週末でしょうか、店主です

 

真珠といえば「御木本幸吉氏」の功績は絶大です

その諦めない精神力と行動力には知れば知るほど

凄い人だったと思います

1858年、うどん屋の長男として生まれ

半円真珠の成功は1893年、35歳のときのようです

真珠

当時の日本は、江戸から明治(1868年)への劇的な変化の真っ只中

いろんな文化が日本に持ち込まれて生活が変わったのは

様々なドラマや書物で描かれています

黒船来航、大政奉還、廃藩置県…ドラマチックだったでしょう

 

日本のジュエリーの歴史も、ココからがスタートだと私は思います

この二つがわかりやすい出来事でしょう

1871年、断髪令(これは、散髪脱刀令)

1876年、廃刀令(ググってみると…とっても長い…知らなかった)

「大礼服並軍人警察官吏等制服着用の外帯刀禁止の件」

これは、髷(まげ)をゆわないで短髪にし

刀を身につけてはいけない、という内容です

女性も同様な禁止令があり西洋風の髪型へ変化を求めらた、とか

着物から洋服へ、ライフスタイルや食事、住空間など

いろんなことが変わっていった

その刀を作っていた職人がジュエリー職人へ転身したそうです

刀には「刃物」「鍔(つば)」など、多くの装飾がある

当時はまだジュエリーは少なく「髪飾り」などが多かったと想像します

 

海外の要人たちとの社交場「鹿鳴館」が完成

ジュエリーは外交のコミュニケーションの役割を担ったのでしょう

このような時代背景の中、真珠に魅了された御木本氏は

真珠の研究と発展のために尽力をしていたと思います

 

続きは、明治後期の養殖真珠の話とします

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真珠 物語3

2020.04.15

仕事

  • 真珠物語

こうやって文章を書いていると

頭が整理されていきます

ヨーロッパへ行きたくなる、店主です

 

アンティーク、な真珠

真珠の歴史はとっても古い

現代の「養殖の真円パールネックレス」とは

違う価値観だと思います

とっても珍しく希少で、王族や貴族たちの間で楽しまれるアイテム

形も不揃いで興味深い形ばかりです

その形を生かした興味深く素晴らしいデザイン…

王族に仕える職人たちが一生をかけてジュエリーを作り上げる

今とは生活スタイルが違いすぎます

さかのぼると、紀元前には発見されていたようです

想像すらできません

 

真珠

私が近しいな…と感じるのは

ジュエリーとして存在するものです

一番大きくて有名なところだと「ホープパール」

(調べてみて…)

ジュエリーはヨーロッパ文化であり

繁栄した17世紀ごろからのパールアイテムが素晴らしい

図鑑や文献で見るジュエリーはどうしたらこの形なるのだろう…

ため息が出ます

 

パール

日本は..というと、やはり「真円パール」から

興味を湧くものが多いと思います

理由は「江戸から明治へ、和装から洋装へ」の

時代背景があるでしょう

養殖真珠の成功の頃と

明治中期のジュエリー文化の繁栄がリンクしています

日本のジュエリーは真珠とともに広がった

といっても良いと思います

 

続きは、日本の養殖真珠の時代背景とか…

 

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