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繋がりの温かさ

2020.04.25

仕事

こんな時感じること。人の温かさ。

お世話になってる方からのいただきモノ

「衛生グッツ」今は貴重ですね、店主です

 

【製作中】

いろいと溜まってしまってます…

最近はジュエリーのデザインをする上で

複雑なデザインや細部の確認をしたい場合は

見本のジュエリーをザッと作成しています

これでイメージがつきやすく

よりお客様の理想に近づけれたら…と試行錯誤中

まだまだ頑張らねば

 

 

衛生グッツ

おかげさまで、多方から

紙製の使い捨てタイプを入手しました

また、和裁が趣味の実母から手作りマスク

消毒用エタノール(この機会に色々と勉強)も

友人から小分けいただきました

そういった、お心遣いが嬉しいです

お分けや寄付できるほどの余裕はありませんが

今だから感じる人との繋がり、温かみが嬉しいです…

 

 

 

 

 

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真珠 物語5

2020.04.23

仕事

  • 真珠物語

真珠、必需品

歳を重ねるとフォーマルなシーンは外せない

反対にあると便利アイテムでしょう、店主です

 

明治後期の養殖真珠、現代のパールネックレスがあるのも

この時代に熱意をもち尽力いただいた先人のおかげ

日本のジュエリー界の偉業でしょう

明治後期といえば、着々と繁栄し、海外への進出に興味をもったのだろう

日清戦争、日露戦争 などの出来事もありました

そんな中で御木本氏は、真珠の魅力に興味を持ち

様々な行動、挑戦を続けます

真珠

1893年、35歳のときに「半円真珠」の養殖に成功しました

もともとアコヤガイから真珠は採れたようですが

養殖ではないので、真珠がはいっているか?わかならい

自然にある貝を乱獲され、貝自体が少なくなってしまったようです

まずは貝を増やすことに注力し、同時に養殖の研究です

研究といっても、一人では出来ない

当時の水産界の役人(議員)を支援者とし

最高権威の研究者を訪ねて研究を重ねる

この段階でも凄い行動力です

最初の養殖成功は、半分だけ球体になった真珠でした

それを持ち前の行動力で東京へ上京し商人になったようです

商才がよほどあったのでしょう

その半円真珠がヨーロッパで興味を持たれるようになり

活躍の場所が世界へと広がります

真珠養殖場の経営、東京ではジュエリーアトリエを作り、海外への輸出。

このとき、今度お札にもなる「渋沢栄一」とも知り合っている…凄いです

もうこの頃、40代と年齢もいちばん気力が乗っていい時期だったのでしょう

行動力と努力の結果ですね

 

次回は「真円真珠」までの道のりを、まとめてみたいと思います

 

 

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昔、作ったジュエリー

2020.04.21

仕事

来店予約の電話「….ですけど、今から伺っていいですか?」

記憶を辿り、ビンゴ!でした

気分が一瞬 軽くなった、店主です

 

【10年前に作成したアイテム】

久しぶりに戻ってきました

「チェーンが紛失してしまった」

「ピアスの金具のメンテナンス」

使用すれば失くしたり、壊れたりする

 

こんなときだから…

\時間ができたので来ることができた/

苦労して作ったなって、懐かしさを感じました

また寄っていただける、有難いことです

 

 

旬のモノ

【たけのこ】

親戚から送られてきました

仕事をしながら鍋に火をかけて下処理

解説動画を片手に、ザッと皮をむきコトコトとアク抜き

「米ぬかと唐辛子を入れて煮る」

昔の人はよくこんなことを思いついたな…

自然の摂理は素晴らしい、と感心します

 

 

 

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お客様の声 更新

2020.04.19

仕事

4月19日、食育の日(シイク)の日だとか

食べることは、生活していく中で基本になること

ちゃんとしたものを選びたいですね、店主です

 

プルメリアリング

【お客様の声】

先日、お渡ししたプルメリアリング

彼からの感想を「お客様の声」にアップロードしました

https://jewel-yamamoto.com/voice/

 

海外からのご注文、サイズ調整が必要なことも

頭に入れながらのお仕事…

リングが一度戻ってきました

そこには彼女からの温かいお手紙付き

若いって良いですね

ひとつの指輪がココまで愛される…

精進していきます

 

 

今週末いかがお過ごしでしたか?

私は全く変わらず

アルコールも多めに入手

マスクは実母の手作りが少々

紙製も1箱を譲っていただく

換気をしっかり、対策は出来ることをする

いつもよりトーク少なめ…にて

 

さ…制作活動、頑張ろう

 

 

 

 

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真珠 物語4

2020.04.17

仕事

  • 真珠物語

静かな雨の音

穏やかに過ごす

そんな週末でしょうか、店主です

 

真珠といえば「御木本幸吉氏」の功績は絶大です

その諦めない精神力と行動力には知れば知るほど

凄い人だったと思います

1858年、うどん屋の長男として生まれ

半円真珠の成功は1893年、35歳のときのようです

真珠

当時の日本は、江戸から明治(1868年)への劇的な変化の真っ只中

いろんな文化が日本に持ち込まれて生活が変わったのは

様々なドラマや書物で描かれています

黒船来航、大政奉還、廃藩置県…ドラマチックだったでしょう

 

日本のジュエリーの歴史も、ココからがスタートだと私は思います

この二つがわかりやすい出来事でしょう

1871年、断髪令(これは、散髪脱刀令)

1876年、廃刀令(ググってみると…とっても長い…知らなかった)

「大礼服並軍人警察官吏等制服着用の外帯刀禁止の件」

これは、髷(まげ)をゆわないで短髪にし

刀を身につけてはいけない、という内容です

女性も同様な禁止令があり西洋風の髪型へ変化を求めらた、とか

着物から洋服へ、ライフスタイルや食事、住空間など

いろんなことが変わっていった

その刀を作っていた職人がジュエリー職人へ転身したそうです

刀には「刃物」「鍔(つば)」など、多くの装飾がある

当時はまだジュエリーは少なく「髪飾り」などが多かったと想像します

 

海外の要人たちとの社交場「鹿鳴館」が完成

ジュエリーは外交のコミュニケーションの役割を担ったのでしょう

このような時代背景の中、真珠に魅了された御木本氏は

真珠の研究と発展のために尽力をしていたと思います

 

続きは、明治後期の養殖真珠の話とします

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